新体力テスト

義務教育のころ、体力テストというものがあった。

スポーツテスト、あるいはパッヂテストとも呼んでいた。

案外と歴史の長いものらしい。

あれは「検査」だったと知る。

日帝が身体規律を強調したことから植民地支配の1つの様相を見いだしている。近代国家では国家が必要とする軍事力と、市場が要求する労働力を担当する身体が必要となる。そのため、前近代の「身体」が修養と保全の対象だったならば、近代以降の身体は国家権力の精密な検査対象になり、より良い身体と健康を訓練によって育成する「体育」という概念が登場した。

 そして、学校は体操や教練などの教科を通じ、身体能力の育成と規律化を行う上で核心的な役割を果たした。日帝は、1938年に戦時動員体制への転換を進め、朝鮮に「皇国臣民体操」を制定した。近代朝鮮に新たに入ってきたスポーツや体操は、そのほとんどが日本から流入したものだったが、皇国臣民体操は植民地朝鮮から逆に日本に輸出された。また体力章(体力検定)制度は、日本の厚生省の発表に先立つ1939年7月に京城(ソウル)で実施された。<朝鮮日報

現在も、明るい装いで実行中

新体力テストってなぁに

僕の頃より項目が減って、少し入れ替わりもあり、検査項目の名称がソフトに変更されている。

追加項目 20mシャトルラン

削除項目 斜懸垂・懸垂(中学)/走り幅跳び/垂直跳び

名称変更 伏臥上体反らし>>上体おこし

方法変更 立位体前屈>>長座体前屈

実は大好きだった。