無題

雲衣。さんのふざけた歴史観。いけるかも。ご存知のように日本の正史には長〜い縄文(採集狩猟)とそれに比べると極端に短い弥生期があります/挿入されてます。大和朝廷(そんなものがあったとしても)出現の唐突感をマイルドにしつつその前段をできるだけ古くに調整した結果というのが批判的な玄人筋の見方らしいのですが、それでも半島での農耕開始の時期と列島のそれのズレが大きすぎという意見も多いようです。

列島の縄文期が半島や大陸の似たような生活様式よりずっと長く続いたのは、列島西南部の野山がホントに、カメハメハ大王的と言っていいほど、初期農耕のご利益がチャンチャラおかしいくらいに豊かで、皆んなのらくら出来てたから、数次にわたり接触してきた文明の誘惑を拒否し続け(笑)、頑固かつノラクラと採集生活を続けたと考えるとけっこうスッキリしますね。

稲作一派の初期のややローキーな事業計画はいくつかの拠点をのぞいて頓挫。時が経って渡洋・揚陸能力の充実を待って傭兵や企業官吏を従えた優秀な稲作アントレプレナーが再挑戦。「列島の外から」来て「稲作を伝えた」。

今度は無理やりに力を込めてやった。

一説に稲作の拡がりかたは、九州北部から関東平野までたったの200年。まあ、10世代か。これを伝播というかね?でもね。あれは農奴にされたのではなくて、稲作を伝えてくれたのです。コメ・ラブ。

ピース。

今さら何いってんだ。事実誤認だなどなど遠慮なくどうぞ。