食事―浄・不浄観

2012.12.31.二週間ほどまえかな、サイードの『オリエンタリズム<上>』をひらくとしおりがわりにはさんでおいた、イギリスにあるらしいコーシャーフード機内食のメーカーの紙片がみつかった。前回に帰朝したその帰りの飛行機でなぜか?家人がコーシャー食を予約していた。察するに特別食の方がはやくでてくるしもっと美味しいのではないかという食いしん坊の家人らしい心遣い。

結果はというと不味い。ベジタリアン以下じゃ。標準エコノミー食のマレーシア風のカレーライスがおいしそうに見えた。日本人らしき客室主任の不審げなかおつきで食事内容の確認。つづいてサービスのおにいさんが、封をきってもいいですか?再加熱してあたためてもいいですか?と聞いてくる。様子もわからないのでよきにはからってくれたまえと鷹揚に答える。たべるとまあこれは先にもかいたとおり不味い。不味いというとちょっとちがうかもしれない。おいしくない。あるいはおいしさを見つけられない不毛な味だ。

 コーシャー?コーシャーとは?はてなんだったっけ?ハラルとコーシャー!どっちがどっちかわかんないけどイスラムユダヤ教のきれい好きな連中の食事ルールだ。ガラのわるい郊外の多国籍地帯のMショッピングセンターにハラルの肉屋があるけどあそこらへんにいっぱいいるのがどっちかと考えたらそれはイスラム達で、ということはハラル=イスラムでコーシャーはユダヤあるいはユダヤ教徒の食事ルール、戒律?律令政治?とにかくそこらへんで、つまるところ美味しさをみつけられないうえにベジタリアン機内食みたいに健康ってすばらしい!なんてプラスの価値をむりやり付加するもままならない。あとでおなかがすくと困るのでチーズだけよけて、フルーツをたべて、あとはかるくつっつきまわしてさげてもらってしまいました。

 日本の空港内で邦貨1000円程度で用意したブランデーのポケット瓶をとりだして、さあこの不味そうではなくて美味しくはなさそうなチーズ一辺をお供にいきますか。最近では乗り換えでも身体検査があるしマレーシアは回教国だし税金のこともあるから、まあいろいろでとにかくクアラルンプールまでに呑みきり必須って気負うほどの量でもないけどまあそれでも呑みきりだ。でも俺って正統派のユダヤ教徒?のんでいいんだっけ?たぶんだめだよね。ちょっとだけならOK?まあおおっぴらにはやらないということで、ポケット瓶の正当派な使用態度を原理主義的に復習しつつチーズをかじる。

 台湾沖あたりで空腹をおぼえるというかはっきりと腹ぺこ。数列前でマレー系華僑か?家族そろってマギーのカップラーメンをすすりはじめる。メニューによると邦貨で150円程度。チキン風味とかトムヤム風味とかよりどりみどりじゃないですか。コーシャーな俺にもぴったりなカップラってあるかしら?ないよね。でも、もしかしたらと無い物ねだりの子守唄@中原りえを三回暗唱して東京ららばい、トムヤム風味いっちょうプリーズ。

 あれはあきらかな破戒行為でした。なにもしらないところからはじまったとはえいえ。自身の行動をはたから見てなんとなく不思議、不審あるいはちょっとだけ気になる東洋人ていどにおさめることは可能だった。難しくもなかったのに途中からどうでもよくなってしまった。機内のすぐ近くに同じくコーシャー食をたのんだ人がいなくて幸いだった。だったけどあの人たちの考えでは近くにいたとかいるとかそういう話じゃないもんね。

 なんでこんなことを今おもいだすかというと、一昨日、家人の兄とそのこども、家人から見ると甥っ子と姪っ子その子らの母親および子らの祖母(家人の母)とを浜に釣りにつれていき(家人の兄は最近に入手したカヤックでひとり波のかなたへエスケープ)僕は使用人のようにこきつかわれながらも、寸足らずか非食用ばかりをつる女子どもをしりめに、雑用の合間だけでキス2、白ギス、さより系各1尾(約30センチの合法サイズ)をあげて意気揚々。家にかえり子どもには味付きで売ってる安手の串焼きバーベキューをあてがい、大人は白身の魚で軽ーくいっぱいとおもったら、家人をのぞいてだれもたべない。いやがると思って、いや遠くを慮って見えないところで頭を落とし、おなかをそうじして海水であらって保冷バッグにいれておいたしめてから一時間もたってない魚。ホイルに包んで塩とワインとコショウで味をつけてと。だれもたべないんですよ。味見もしない。しょうじき、かなしかった。せつなかった。僕のかんがえるごちそうってそんなに奇妙ですか?珍味のことをデリカシーっていったりするけど意味深長ですね。

 で、家人の兄はフィッシングクラブにもはいってたけど、ずーと北の方の亜熱帯地方までつりにいってたけど、義母もキャンプ好きのワイルドライフ好きって売りだったけど何なんでしょう?