中浜駅

用事を済まして久しぶりに湖西線に乗ってみようと思った。今では比叡平まで電車でいけるという。最後に乗ってから軽く20年は経っているし、午後の暇つぶしには悪くない思いつきだった。

湖を右手に見て走る湖西線沿線は時を経てそれなりに忙しくなったらしく、山と湖にはさまれた狭い平地に住宅と郊外型店舗とまだがんばっている農地のごちゃごちゃが連綿とつらなっている。うとうとしてめざめると、湖を渡る大橋がみえて比叡平に行くにはずいぶんと寝過ごしてしまったと気づき、次の駅で降りてこれで町の方に戻れるだろうと見当をつけて乗り換えた。また、今度はしかっりと寝てしまって気づくともう夜で、携帯の地図をみると現在位置は湖北地方、先の見当とは正反対に更に北へ向かっていたようで、これから湖の北の端を反時計回りまわり周っていこうとするところだった。これはこれと、流れに任せて湖東で本線と合流するところまで行けば、本線は夜の1時まで走ってるからなんとか両親の家まで戻れるだろうと思った。

乗っていた電車は夜中の12時を数分回ったところで終点に到着。 ちょっとおどろくほど沢山いた乗客はそろって乗り換え口へと急ぐので、本線の終電に連絡するに違いないと急いでついて行く。駅は思ったより大きくて最初の乗り換えて掲示には知った行き先駅名が1つもない。急いでもう1つの乗り換え口にむかって天井から吊りさがった電光掲示版をみるとそっち方面はすべて終電になっていた。

駅員を見つけてここはどこかと聞くと、中浜だという。中浜はちょっと変わった駅でしてね、今は辛夷ー谷中線なんて洒落た名前がついていますが、まあ昔の岐阜線ですよ。ご存知のように誰が考えたのか昔はちゃんと理由があって、それであえて本線には直接連絡させていないのです。と指で掌に「の」の字を書く仕草をして岐阜線と本線にはの奇妙な位置関係を示してく、日中はバスで本線のターミナル駅に連絡しているという。

バスの始発まではざっくり5時間、運が良ければ4時間。それなら宿をとらずに待つかと駅の外に出ると、湖東北部のきいたこともない駅前にしてはおどろくほど賑やかで店の三軒にひとつはまだ開いていた。駅前からまっすぐに線路と直角にのびる二車線の道路と右手に線路に沿っていく路地というには立派で昼間は車も通りそうな道があって、二本の道がはさむ三角は網の目の路地かもしれない。その線路沿い右手の方へ歩きはじめると、ちょっと先にあかあかと電燈を灯した店が何軒か集まって繁盛していそうなのが見えた。

はて、ここは昔の遊郭色街あるいは赤線があったところかなと見わたすと、明るい一帯の手前にいかにもな感じの薄暗い立て行燈をだした一見豪華なドアのお酒を出す店も散見する。するとその一軒の裏口の外でタバコを吸ってた若いのが寄ってきて話しかけた。酒にも女性にも興味がない。ただちょっと朝まで困ってるだけだと伝えると、ここは変な町だろ、後で教えてやるよ。1時間半後にここへ来な。世界一はやい朝飯を食おうぜという。この薄暗いこれといって特徴のない場所に確実に戻ってくる自信がないから、あすこの駅のバス停のいちばんこっち側のベンチで待ってるよと言うと。それでいいとタバコを投げ捨て裏口に消えていった。

朝の2時じゃ世界一はやい朝飯ではないだろう。田舎もんの可愛い思い上がりだな、などと思いながら先にみた明るい方へ歩くと、まだやってる店もあれば、これから開ける店もある。サブウェイのサンドイッチ屋さんがあって、でも夜は別の商売をしてるらしく細長いスチロールの持ち帰り容器にご飯を敷き詰めて、そこに煮込みすぎた豚の角煮の脂身の部分のように見えるものを乗っけて煮汁をかける。それを手際よくどんどん作り置きしてるから、きっとすぐに飛ぶように売れる需要があるにちがいない。隣の店では豚の皮だけをじゅうじゅうと鉄板で焼いていた。オーブンを使えば皮煎餅もできるけど、鉄板で焼き続けるとどうなるのか興味があったけど、まだどれも焼きあがっていないようだった。

いい匂いがするところを1時間半も歩き回ったあと、件の若いのが連れていってくれたのはかつての巨大キャバレーの跡で入り組んだ迷路のような店内にあるクラブラウンジ、バー、サロン、個室それぞれで別々の店が勝手に営業してる集合店舗とで、そのうちの1つで例の豚飯をおごってくれた。