ハハノヒヒドイヒ

6度目の手術から1週間

最近じゃ誰も心配してくれないよ

除く)ナムとハン夫妻と2人の間の2人の子。見舞いに来たら二食分ほど温めるだけの食べ物置いて、立ち話で帰って行く。そいうことだよベトナム。わかってるねアジア圏。

退院翌日に大挙訪問して宴会開いて散らかしっぱなしで帰って行くあんたとあんたとあんたには言ってもわかってるもらえまい

 

そんなことはちいさなこと

 

今週末は母の日で義母と義継母に感謝感謝をかたちで表す

義継母はいいが、義母の不安が大爆発。いつものアレだ。僕らが何をやっても始まらない。終わらない。彼女の長男、義兄1がローストビーフをこしらえて彼女を主賓として、文書をともなって正式に招待す。それが彼女の望みだ。知るか!

そんなことは今まで一度も起こったことない。義兄1は中学生のころ家を追い出された、映画みたいに家に帰ったら自分のものが道路脇に積み重ねてあったことを根に持っている。それはそうだろうとも思うしもういいじゃないかとも思う。

義母が嫁御に電話する。火曜から毎日なんども怒鳴りあい。携帯ごしの罵りあい。彼女の言いたいことはひとつ。どうやってか義兄1かその嫁が彼女の望みを叶えるように、ただし間違っても彼女が悪く見えないように側面から工作できないか?

できるわけなかろうもん

あわれ嫁御は昨夜から不眠が再発、仕事は山積み

 

思い出したが昨年の正月3日か4日かその次か、クリスマスの「間接招待」に発端したごたごたにこりて、義兄1の嫁が彼女を直接に招待した。僕も義兄1の家にいた。彼女が来た。ベルを鳴らし、ドアを激しくノックする。ドアを取ると鍵がかかってなかったから、開いてましたよ伝えると

Jは何処! ーーキッチンかな?

私はこの家のゲストよ!亭主を呼びなさい!! ーーへーい。おいJ、あんたにお客だよ。赤絨毯の用意はあるかい?